私が「毒親」という言葉を知ったのは、20代半ばだったと思います。
ちょうど社会に出て何年か経ち、いろんな人と出会ったことで学生時代よりも少し視野が広がった頃です。
視野が広がったことで、自分の育った家庭や親について「うちってちょっと変なのかもしれない」と感じることがあるものの、認めるのが怖くて気づかないふりをしていた頃でもあります。
自分を否定し続けた20代
小さなころから少しずつ浴びてきた毒は、次第に心身を蝕んでいき、完全におかしくなったのは二十歳前後。
当時はふとした瞬間にいつも「死にたい」と考えていて、試しにリストカットしてみたり(痛かったので以降やめた)、大量の睡眠導入剤を飲んでみたり(死ねるわけがない)、食事するのをやめてみたり(結果外で倒れただけ)していたのですが、死なないならやっぱり生活費を稼がないいけません。
母が家に男を連れ込むのが嫌で、実家に戻るという選択肢はありませんでした。
大学を卒業しとりあえず就職してみると、忙しさと責任感から「死ぬ(わけがない)方法」をいろいろ試す時間はなくなりましたが、かといって毎日が幸せだったわけではなく、就職した会社はブラック企業でした。
サービス残業当たり前、定時で帰ろうとすれば嫌味を言われ、理不尽に怒鳴られたりいじめられたりして会社を出てから眠るまで大抵泣いていました。
電車の中でも涙が止まらなくなることが多かったので、たまたま居合わせてしまった人はぎょっとしただろうなと思います。
自己肯定感の低い人は、ブラック企業と分かっていながらも辞められなかったり、暴力や暴言など、自分をないがしろにするような相手を選んでしまったりするのは本当だと思います。
「自分はダメな人間」と思い込んでいるので、「ここで上手くやっていけないなら他でもやっていけないに違いない」「こんなダメな自分を愛してくれるのはこの人しかいない」と考えてしまったり、確固とした自分の価値観がなく、周りの目を気にするため不当な扱いをされても我慢してしまいがちです。
それまでの人生を否定するということ
幼少期から浴び続けた毒が二十歳くらいで完全に回り、毒が回った状態でブラック企業に就職してさらに洗脳されましたが、社会に出ていろんな人に出会ったことで自分の育った環境や植え付けられた考え方を客観的に見ることができるようになり、29歳でようやく洗脳が解け始め、人を消耗品のように扱う会社も辞めました。
洗脳が解け始めるまでも、つらかったです。
なぜなら、自分の育った環境や植え付けられた価値観、その価値観を植え付けた親を「ちょっと変なのかもしれない」と疑うことは、これまでの自分の人生を疑うことでもあります。
そして「変なんだ」と認めることは、これまで歩んできた人生を否定し、その事実を受け入れるということだからです。
これはとてもエネルギーが要ります。
それまで信じてきた価値観(=親の価値観)を自分でひっくり返さなければならないし、感じてきた生きづらさとはまた別の苦しみが生まれます。
でもそれを乗り越えないと、自分のための人生を生きることはできないのです。
毒親のもとに生まれてしまった子供は、問答無用で人生ハードモードです。
自分の人生を生きるということ
毒親やアダルトチルドレンについてあれこれ調べてみると、大抵「自己肯定感」という言葉が出てきます。
このブログでもたくさん出てきますが、とにかく自分で自分を認めてあげないと、自分の人生を生きることはできません。
自分の人生を生きられないというのは、生きていてもつまらないということです。
自分の体験や気持ちを整理して、私はこれから何をどうしたいのか考えてみようと思って始めたほとんど自分のためのブログですが、最近ではたくさんの方に読んでいただいています。ありがとうございます。
当初は自分に対して、現在よりもはるかに自信がなかったので(めちゃくちゃ)嬉しいのと同時に、私は誰かの役に立つようなことが何か書けているだろうかと不安になったり、毒親によって苦しみを抱えている人たちがこんなにいるんだなあと実感したりもします。
結局私が何を言いたいのかというと、早く「自分のために人生を生きる」ことを選択して毒親から離れて、失われた自分自身を取り戻そうよということなんです。
そのためにいろいろアプローチを変えつつ、今後も記事を投稿できたらいいなと思ったので書き残しておこうと思います。