父親の記憶と暗黙のルール

プール
これまでの人生でいちばん幸せだったのは、物心ついてから5歳くらいまでの、僅かな期間だと思います。

単に覚えていないだけかもしれませんが、その間だけ、父が怒鳴ったり食器を割ったりしている記憶がないからです。

毒父のタイプは、暴言によって相手を傷つける心理的虐待タイプと、暴力によって傷つける身体的虐待タイプの2つに分けられるといわれています。

父は、私に対して説教をすることはあっても、直接暴言を吐いたり、暴力を振るうことはありませんでしたが、その代わり、しょっちゅう母を罵倒して暴力を振るったり、泣き叫ぶ弟を家の外に出したりしました。

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買ってきたものを隠す生活

母と私と弟の間には、こんなルールがありました。

「買い物に行ったことを父に知られてはいけない」

買い物に行ったことが知れると、「くだらないもの買いやがって」「誰のおかげで飯が食えると思ってる」「誰のおかげで生活できると思ってる」と、母が殴られるからです。

なのでいつも私たちは買い物から帰ると、買ってきた食材や服や日用品を、とにかく早く隠すことに必死でした。

そんな生活だったので、「物を買うのは良くないことなんだ」と感じていたように思います。

ちなみに「くだらない」は父の口癖で何度も何度も聞かされ続けたため、私はこの言葉が嫌いです。

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家族の都合も体調も自分中心

小学校に入った頃、父に泳ぎ方を教えてもらい、夏になると、よく二人で市民プールに行きました。

父は水泳が好きだったようで、プールにだけはしょっちゅう連れて行ってくれるので、私もプールが好きでした。

「今日は家族4人でプールに行こう」と誘われたとき、私も母も風邪気味だったことがありました。

なので「(弟と)二人で行ってきたら」と母が言うと、「都合よく風邪なんかひきやがって」「行きたくないだけだろ」と吐き捨てるように言った姿を今でも覚えています。

当時は「本当のことなのに」と、ただただショックで悲しい気持ちでしたが、今なら、なんて勝手な親なんだろうと怒りすら感じます。

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外で自分を抑え込む反動

同じ頃だったと思いますが、一度、父の会社の社内旅行に同行させてもらったことがあります。

父にはほとんど友達がおらず、家にも知り合いが来ることは滅多になかったため、そこで初めて父が、母や親戚以外の他人と接している姿を見ました。

外で見る父は、物静かで、控えめで、ニコニコしていて、家で酒を飲み、怒鳴り、暴れる父とはまったくの別人に見えました。

父のニコニコしている姿が嬉しくて、今でも時々思い出すくらい楽しい旅行だったのですが、家に帰ってきた途端、またいつもの父に戻ってしまうのでした。

おそらく、外では必要以上に周りに良い顔をし、気を遣い、ストレスを抱え込み、その捌け口が母という弱者であったのだろうと思います。

母が父に依存していたこともあり、両親が離婚したのは、警察の介入があってようやくでした。

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