毒父と毒母の間で板挟みになる子ども

観覧車
毒母による娘への悪影響の一つとして、不満や愚痴などのストレスの捌け口にされることが挙げられます。

そういった家庭で暮らす子どもは「家にいても自分の居場所がない」「家にいるのがつらい」「家から逃げたい」という気持ちを抱えて過ごします。

私は幼少期から、父よりも圧倒的に母と過ごす時間の方が長かったため、母から常に不満、愚痴を聞かされて育ちました。
そして常に母が正しいのだと刷り込まれてきました。

不満や愚痴の対象は、私の友達、友達の親、担任の先生、親戚、母の旧友など。

そして、いちばん多く聞かされたのは父に対するものでした。

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つらいことが当たり前だと思っていた

父は酒乱でした。
仕事帰りも、休みの日も、いつもお酒を飲んでいて、「飯が不味い」と食器を割り、私の出来が悪いのは「お前の教育が悪いからだ」と母に暴力を振るう典型的なDV夫でした。

小学生の私は常日頃から、「アンタの父親は異常」「酒乱の言うことなんて、まとも聞くんじゃない」「私が怒鳴られるのはアンタがちゃんとしないから」と母に言い聞かせられていたため、父親は異常者で、何を言われても聞いてはならず、母が怒鳴られないよう大人しくして父の機嫌を損ねないことが、私の役目であり正しい行いだと思っていました。

機嫌を損ねると父は必ず「ちょっと来なさい」あるいは「ここに座りなさい」と私を呼び、目の座った真っ赤な顔で延々説教をしましたが、父がどんなことを言っていたか全く覚えていません。

ただひたすら「この人の話は聞いてはいけない」「口を挟んだら母が殴られる」「終わるまで我慢」というような言葉を頭の中で繰り返し、涙を流し、父の気が済むまでじっとそこに座っているだけでした。

母がそんな私を助けてくれたことは一度としてなく、それが当たり前だと思っていた私には、助けてほしいという感情も芽生えることはありませんでした。

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絶対的正義である母親の支配

父は猛毒であり完全な悪でしたが、それと同時に私にとっては世界でたったひとりの、血のつながった父親でした。
その事実がとても苦しかった。
母にとっては所詮他人だとしても。

子どもの私は、母が悪く言う人に親切にしてもらうことも多く、それがまた私を苦しめました。

よく家に遊びに行った友達や、お菓子を出してくれたその子の親、勉強を教えてくれる担任の先生も、背が伸びたことを褒めてくれた親戚や母の旧友も、いっそ悪人ばかりだったら心置きなく嫌うことができるのにそれができない。

でも仲良くしていると母に思われてはいけない。楽しそうにしてはいけない。余計なことを言ってはいけない。絶対的正義である母が悪く言う人に、心を開いてはいけない…。

そんな「正義の母親像」が揺らぎ始めるのは、中学生になってからでした。
私の出来が悪いのは「お前の教育が悪いからだ」と、もう何度も、何年も、父に罵倒され続けている母は本当に正しいのだろうか。
父の怒鳴り声を聞きながら、ふとそんなことを思ったのがきっかけでした。

母が軽蔑していた父によって、母への不信感が生まれるとは皮肉なものです。

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