両親が離婚するきっかけになった夜と罪悪感

夜道

当時私は中学2年生で、弟は幼稚園の年長でした。

父が暴れた夜、私が警察に通報したことが両親の離婚のきっかけです。

だから自分が家庭を壊したように感じて、ずっと罪悪感を抱いていました。

今思えば、私が生まれたときには既に家庭は機能不全状態だったわけですが。

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母の父に対する依存

私たち家族は、いつも仮面を被っていました。

父は外では物静かで、穏やかな人でしたが、家の中では機嫌が悪くなると母を殴ったり、食器を床に投げつけて割ったりしました。

母は外ではそんな父のことをひたすら隠していて、優秀な子供をもつ教育熱心な母親を演じていました。

私は外では成績優秀で、何でもそつなくこなせる素晴らしい子供に見えるように、どうすれば母から褒められ、周囲から評価されるかばかり考えていました。

弟は外では大人しく、いじめっ子からいじめられたりしていましたが、家の中では母や私を喜ばせるためにいつもひょうきんに振る舞っていました。

いちばんの問題は、母が「この人には私しかいない」「私が(酒乱やDVを)治してあげなくちゃ」と父に依存していて、かつ「父親がいないなんて子供に悪影響」と信じて疑わず、私たちを連れてしばらく家を出ることはあっても、結局父から離れられないままずるずると生活していたことだと思います。

そしていちばん可哀想だったのは、いちばん幼くて無力だった弟だと思います。

私は母に連れられて家を出ることもあれば、ひとり親戚の家に預けられ、そこから学校に通っていた時期もありました。

そんな生活を過ごすうち、次第に周囲から離婚した方がいい、警察に相談した方がいいと強く言われるようになりました。

最初は渋っていた母が「(父が)暴れたら110番して」と私に言ったのは、たぶん自分ではきっかけが掴めず、また勇気がなかったからかもしれません。

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警察に保護された夜

その翌日父が暴れました。

怖かった。

警察に電話しているところなんか父に見つかったら、3人とも殺されるに違いないと思い、母の携帯を持つ手が震えました。

「お父さんが暴れてお母さんを殴るので助けてください」と声をひそめて、父の足音が聞こえたらすぐに切れるようにしながら言ったのを覚えています。

心臓が痛いくらいドキドキして、息が苦しかった。

ただならぬ気配を感じ、こちらを不安そうに見つめる弟の姿が今でも忘れられません。

保護された警察署で「子供のために離婚はできない」という母の考えを否定し、「子供のことを思うならそれこそ離婚するべき」と説いてくれた警察の人にはとても感謝しています。

私と弟にジュースを買ってくれたあの人も、どこかのおうちの「お父さん」だったのかもしれません。

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愛情不足の姉弟

今でこそ、あのとき通報しなくとも両親はいずれ離婚しただろうし、そもそも私が生まれたときには既に家庭は崩壊していたと思うのですが、実際に遠くへ引越し、もう元の生活には戻れないということを次第に実感するようになると、「これまでの生活をすべて壊したのは私だ」と自分を責め、「私が警察に電話なんてしなければ」と、毎晩ひとりで泣くようになりました。

あのまま私が付属の高校に通い、いい大学に入って、いいところに就職して、周りから褒められるような人生が、母が私に望む理想の人生でした。

私自身も、それが「いい人生」なのだと信じていました。

だからこそ順調だった人生が台無しになったことが悲しくて、さらに母が男と外泊するようになったことが許せませんでした。

いつも「ここは私の居場所じゃない」「本当の居場所はどこか違うところにある」と考えるしか自分を保つ方法がなく、どんどん心と体が分離していくような感覚がありました。

父親から離れたことで、明るくのびのびと過ごしているように見えた弟も、実はとても自己肯定感が低く、現在もなお、常に周りと自分を比べてしまい劣等感に苦しんでいます。

私も弟も、愛情不足のまま大人になってしまいました。

母がすべきだったのは、自分の寂しさを優先し男で埋めることではなく、子供の心をフォローすることだったのではないかと思います。

なぜなら今私自身が、自分でどれだけ過去の自分を慰め、癒やそうとしても、母親の愛情の代わりにはなりえないからです。

癒やそうとすればするほど、愛情の欠乏を実感してしまうからです。

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