高校3年間は地獄でした。
母は「母親」であることではなく「女」であることを選び、自分の娘よりも男を選びました。
その頃から私は、便宜上「母」と呼ぶことはあっても、あの人を心の底から母親だと思ったことはありません。
「母のための人生」
母はすぐに男性に依存したり、媚びを売ったりする人でした。
父は宗教とアルコールに依存していて、私が通っている幼稚園に乗り込んで布教しようとしたり、外では大人しいくせに家では暴力をふるい、自分で割った食器で腕を切って血まみれになっていたり、機嫌が悪いときは弟を外に出したり、とにかく最低な人間でした。
離婚するまで母はもちろん父に依存していて、離婚しないのは子供のせいにしました。
電話口で母はよく友人に「父親がいないなんて子供に悪影響だと思う」と話していて、私には「アンタたち(私と弟)がいなければとっくに離婚している」と言っていました。
今なら「あんな父親がいる方がよっぽど悪影響だった」「子供のせいにして自分が依存していることを誤魔化すな」と思います。
しかし当時小学生だった私は「父親がいないことは良くないことなんだ」という先入観を持つようになり、「私たちの存在が母の足かせになってしまっている」と申し訳ない気持ちすら感じていました。
そして「自分だけは母を喜ばせてあげられる存在にならなければならない」「母の理想のいい子でいなければならない」という強迫観念が生まれました。
「母」であることより「女」であることを選んだ母親
母は自分の不幸な人生の不満を、男性で満たそうとします。
たとえば、父は母の実家にほとんど近寄らない人だったので(結婚するとき物凄く反対された過去が影響しているのかもしれません)、帰省するときには父親抜きで過ごしました。
祖父も祖母も早くに亡くなっているため不在で、帰省すると母は地元の同級生を家に呼びました。
その中には男性もいて、その人が来ると母はなんだかじっとりとした女の目になり、どちらも既婚者でありながらイチャイチャし始めるということがよくありました。
結婚しているときですらそんな状態だった母が大人しく過ごすことができるはずもなく、離婚後生活が落ち着いてくると、男と外泊するようになります。
これが地獄の高校生活の始まりです。
「クソ女」と罵倒される日々
母が外泊するようになってから、とにかくいつも心が荒んでいました。
娘よりも男を優先する母への怒りでいっぱいで、それまで「母のための人生」を歩んできた自分の気持ちを踏みにじられたようにも感じました。
毎日毎日口論を繰り返し、そうするほど母の気持ちは男に向かっていきました。
母は私の悪口や愚痴を言うことで男からの同情を誘い、あの人たちにとって私は「出来損ないの娘」「恩知らずのろくでなし」になっていきました。
面と向かって嫌味を言われることもありました。
自分の家にずかずか入ってきた赤の他人に怒鳴られたときの屈辱と、知らん顔している母の姿が今でも忘れられません。
反発すれば母からは「養ってもらってるんだから感謝しろ」「自分じゃ何もできないくせに」「図体ばっかのクソ女」と罵倒されます。
家には居場所がありませんでした。
無価値で無意味な自分
毎日のように「クソ女」と呼ばれながら健全な学生生活が送れるはずもなく、心は歪んでいく一方でした。
摂食障害になって常に何かを食べていないとそわそわして落ち着かない状態になり、体重はどんどん増えました。
太ったことでさらに「デブ」「みっともないから痩せれば?」と言われるようになり、太りたくて太ってるわけではないのに痩せられない自分が許せませんでした。
当時の私は、家族だけでなく自分自身にすらも認めてもらえない、無価値で、無意味な存在でした。
何度死のうと思ったか分かりません。
「死ぬときくらい、つらい思いをしたくない」という気持ちがあって、でもどうすればつらい思いをせずに死ねるかが分からなかったのでずるずる生きていただけです。
歪んだ心と承認欲求
歪んだ心の中には、歪んだ承認欲求がありました。
家族だけでなく自分自身にすらも認めてもらえない、無価値で、無意味な自分を、誰かに受け入れてもらいたかったのだと思います。
家庭以外の世界は学校しかなかったので、その欲求は自然と学校で接する人たちに向くようになりました。
否定的でもいい、悪いイメージでもいいから、「私がここにいること」を認めてほしかった。
そして、たしかに存在していることを承認してほしかった。
そのために、いろんなことをしました。
突拍子のない発言をし、周りとは違う行動をしたり、わざと遅刻することも、無断で学校を休むこともありました。
学校を辞めたいという気持ちがあったわけではなく、不在によって注目を集め、存在を認められたかったからです。
だから家出もしました。
注目を集められれば悪目立ちでもなんでも良くて、とにかくそこに存在している自分の姿を見てほしくて、でも絶対に弱みを見せたくなくて、誰にも近寄ってほしくないとも思っていました。
家で「クソ女」と呼ばれているなんて知られたくなかったし、「本当は弱い自分」がバレてしまうのが多分怖かったのだろうと思います。
だからこそ誰かと口を利いたり、親しくしたりしなくても注目を集められる、遅刻や家出という方法を選んだのかもしれません。