過食・拒食・過食嘔吐を繰り返していた頃

窓の外
16歳から20代前半まで、摂食障害でした。

食べることが嫌いで、誰かと一緒に食事をすることも苦痛でしかなかったのに、人に見えないところで尋常ではないほど食べ物を詰め込み、時には吐き、かと思えば何も口にしなくなり、精神的にもめちゃくちゃな生活を送っていました。

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過食のはじまり

私がおかしくなったのは、高校に入った頃でした。

母が弟を連れて男と遊びに出掛けるので、金曜の夜から日曜の夜まで、基本的に家でひとりで過ごしていました。

友達とは、休日に直接会って遊ぶよりも、メールをやりとりすることの方が圧倒的に多く、部活も早々に辞めたので、誰にも会わず、会話もしない日が増えました。

学校をサボるようになったのもちょうどその頃からで、家出したこともあります。

こうして書いてみると、いろいろ重なっていることに驚きます。

当時の私は、嫌いな母や知らない男と出掛けることに比べたら、ひとりの方が、何倍も心穏やかにいられると感じていました。

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心の隙間を食べ物で埋める

あの頃を振り返ってみると、私は孤独で、心の中が空っぽで、その隙間を埋めるために体に食べ物を詰め込んでいました。

そして孤独であることに気づきたくなくて、その考えを忘れるために、どんなに苦しくても必死に飲み込みました。

食べている間は何も考えなくてよかったのです。

朝起きた瞬間から、頭の中は食べ物のことでいっぱいでした。

とにかく常に食べ物のことを考えてそわそわしていて、食べてはまた食べ物を探して家中をうろうろ歩き回っていました。

冷蔵庫、台所、居間、仏壇、時には母の部屋まで。

とにかく何かしら体に入れないと落ち着かず、自分を保てませんでした。

袋麺を茹でる余裕すらなく、粉末のスープをまぶして、そのまま食べることもありました。

泣きながら食べることも、泣きながら吐くこともありました。

そして「やめたい」「死んでしまいたい」と思いながら、またうろうろ食べ物を探して歩き回りました。

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拒食のはじまり

私は0か100でしか物事を考えられなかったので、全く食べなくなったこともあります。

5日くらいが限界でしたが、夏休みなどの長期休暇中は、水だけで過ごす期間が度々ありました。

そういうときは何もかも億劫で、寝ている間に死んでしまいたくて、ひたすら眠りました。

大抵5日目くらいになると、目覚めた瞬間から凄まじい吐き気に襲われて、まともに歩くこともできなくなります。

「ああもう死んでしまうな」「目覚めなければよかったのに」と思うと同時に、死への恐怖なのかひどい吐き気による本能なのか、「とにかく水以外の何かを胃にいれなくてはいけない」と急き立てられました。

這うように台所へ行き、とにかく味があって、簡単に飲み込めるもの(味噌やケチャップやはちみつ)を舐めました。

実家は田舎の平屋らしく無駄に広くて、ひとりきりでいるには広すぎて、特に台所は、夏でも暗くひんやりとしていました。

窓の外は鬱陶しいくらい眩しくて、冷たい床に座り込んでいる自分がとても惨めでした。

一度何かを口にしてしまうと、今度は食べ物を詰め込まないといられなくなります。

吐き気が治まるとそわそわしだして、またうろうろと食べ物を探し始める日々の繰り返しです。

食べることと吐くことの罪悪感

私は物を食べても、あまり上手く吐くことができませんでした。

そのため、咀嚼するだけ咀嚼して、飲み込まずに吐き出すこともありましたが、「もったいない」という気持ちが勝り、吐いて捨てることに抵抗もありました。

何より、吐き出している間の苦しさや情けなさに耐えられなかったのが大きいと思います。

吐いても吐かなくても、食べたあとは罪悪感で気が狂いそうになりました。

でも食べている間は何も考えずにいられるのです。

食べたあとの罪悪感から逃れるためには、さらに食べ続けるしかありませんでした。

母はそんな娘を心配することなど一切なく、「デブ」「クソ女」「みっともない」「病気」「病院行けば」と罵倒しました。

むしろ「痩せれば?」と、わざわざクリスマスに体重計を渡されたこともありました。

あの時の屈辱と絶望感は、今でも忘れられません。

私はどんどん追い詰められ、いつも心が荒れていて、しょっちゅう母や弟と口論になりました。

母の口調を真似して、弟からも罵倒されるようになっていき、自分の部屋にこもるしか方法がありませんでした。

下剤の乱用

大学進学と同時に一人暮らしを始めると、過食にさらに拍車がかかりました。

結果的に体重は、高校3年間で10キロ、大学1年目でさらに5キロ増えました。

自分を自分だと思いたくなくて、誰にもこんな姿を見られたくなくて、初めはなんとか通っていた大学も、次第に休みがちになっていきます。

大学に入ってからは、吐けない代わりに、下剤を乱用するようになりました。

ひたすら食べたあと、下剤を飲むと少し安心できました。

下剤による腹痛は二度と味わいたくないほどつらいのに、痛くなり始めると嬉しく感じている自分もいました。

煙草への依存

過食をやめるために吸い始めたわけではありませんが、煙草を吸うようになってから、異常な食欲が徐々に抑えられるようになっていきます。

煙草を吸うと、空腹感が忘れられました。

とはいえ、今度は心の隙間をニコチンとタールで埋めるようになっただけです。

食べることに意味がなくなったのでほとんどものを食べなくなっていき、煙草とコーヒーと炭酸飲料で過ごすようになりました。

過食は治まったにもかかわらず、「自分は恥ずかしい存在だ」「誰にも見られたくない」「消えてなくなりたい」という気持ちは、ますます強くなるばかりでした。

もともと苦痛だった大学には、ほとんど行かなくなりました。

そんな生活をしばらく続けていたある日、煙草を買いに出掛けた先で、突然目の前が真っ白になったところで記憶が途切れます。

人並みに食べるようになるまで

気がつくと硬い床の上に倒れていて、たくさんの人が私を覗き込んでいました。

起き上がろうとすると、身体中が信じられないほど重くて、ひどい吐き気がして、頭が痛くて、息が苦しくて、目の前が緑色にチカチカしました。

いつも煙草を買っていたスーパーで倒れたようでした。

「真後ろに倒れて頭を打ったから」と、居合わせた女性が病院まで付き添ってくれたのですが、「食べない」という自分の勝手で、人に迷惑をかけたことをひどく後悔しました。(後日、お礼とお詫びに行きました。)

せめて倒れないくらいの最低限の栄養は摂らないといけないと思いました。

この出来事がきっかけになり、少しずつ人並みに食べるようになっていきます。

ストレスを感じるとそわそわしだして食べすぎてしまうことも、やたらタバコを吸ってしまうこともありましたが、罪悪感で自分を責めるのもやめました。

リウマチを発症したことで、今では煙草も吸わずに生活できています。

少し食べすぎたとしても「まあそんな日もあるよね」と、次第に自分を許せるようになり、激しく変動を繰り返していた体重も、元に戻りました。

ただ、年に数回だけ、どうしても母がいるときには、苦しくてもものを詰め込む癖が出てしまうことがあります。

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