母親の愚痴を聞き、弟の親代わりになって父親の不在を埋めていた

風鈴
私には年の離れた弟がいます。

学年でいえば8つ、私は春生まれで弟は早生まれなのでほとんど9歳離れています。

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愛情は弟に向けられるのが当たり前だった

第一子は下の子がいると「お姉ちゃん(お兄ちゃん)なんだから我慢しなさい」と言われ、下の子が優先されがちです。

そう言われるたび、「好きでお姉ちゃんになったわけじゃない」と不満に感じていた人も多いのではないでしょうか。

私の場合、弟と年が離れていたこと、ずっと兄弟がほしかったこともあって、弟が生まれても「お母さんを取られた」と感じることはありませんでした。

むしろ可愛くて可愛くて、ミルクをあげたりオムツを変えたりするのを手伝いたくて毎日学校から走って帰るくらいでした。

母と私の愛情はすべて弟に向けられていて、私自身も弟に夢中だったので自分に対して親の愛情が向けられていないことにそもそも気づいておらず、寂しさを感じたこともありません。

父がほとんど育児に不参加な家庭だったので、母と私のふたりで弟を育てているような環境でした。

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長女でありながら「親」でなければならない

父親が育児にほとんど関わらないことも、そういった環境しか知らなかったので随分長いこと「そういうもの」だと思っていました。

もちろん当時はなんとも思っていなかったし、弟の世話も楽しくて仕方なかったのですが、今振り返ってみると私は長女でありながら、弟にとって「親」と同じ存在でなければならなかったように思います。

弟が生まれたことによって私には、父の代わりに弟の面倒を見、父の代わりに母を助け、愚痴を聞いてあげる役割が発生しました。

そして子供らしくのびのび過ごすことも、わがままを言うこともできなくなり、子供なら当然得られるはずの「親からの愛情」も得られなくなりました。

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「子供らしさ」のない子供時代

さらに、下手に要領が良く成績も優秀で、大抵のことならそつなくこなすことが出来てしまったがために、「完璧な姉」であることを求められました。

「完璧な姉」であることが当然だったので、通知表もすべてAが当たり前、賞を取るのも選手に選ばれるのも志望校に受かるのも当たり前で、それらは全部「母の手柄」。

弟の面倒を見るのも、母を助け、ケアするのも当たり前。

両親、特に母は「子供が優秀=自分が優秀」と考えていて、子供が良い成績を取れば取るほど、自分の価値を高めると考えていました。

母の愚痴を聞き、慰め、癒やすのが当たり前だったので、良い成績を収め母が喜ぶことは私にとっても嬉しいことでした。

そこにあったのは単純に娘の頑張りを喜ぶ気持ちではなく、「優秀な娘を育てた私は素晴らしい」という考えだったわけですが。

欠点や短所があることは許されず、「子供らしさ」なんて一切求められなかった子供時代を送っていた自分について、なんだか可哀想な子供だったなあ…と、どこか他人事のように思い出すことがあります。

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