「子どもに謝らない」というのも、毒親の特徴のひとつだと思います。
毒親は子どもに対して、自分の非を認めないのです。
親は社会のルールを学ぶいちばん身近な存在
自分が迷惑をかけたり、怒らせたり、傷つけたりしたとき、相手に謝るということ。
逆に自分が謝られたとき、相手を許すこと、謝られたら自分の気持ちにどんな変化があるかということ。
人と関わり、人間社会を生きるうえで、まず子どもはこのようなことを学ぶはずです。
そして、それを学ぶことができるいちばん身近な存在が、親子という関係ではないでしょうか。
幼少期は特に、子どもの世界は狭く、親が世界のすべてともいえます。
親が世界でいちばん正しい存在なのです。
だからもし、それが一般的に間違っていることだとしても、子どもは親の真似をします。
友達に謝らなかったり、自分の子どもに謝らなかったり。
「ありがとう」も同じで、お礼が言えなかったり、子どもを褒めることができなかったり。
子どもに、正直で誠実な人間に育ってほしいと思うならなおさら、まず親が子どもに対してそうあるべきだと思います。
子どもを見下し理解しようとしない母
自分は間違っていないと意地を張り、親だから子どもに謝らなくていいなどと考えるのは大間違いです。
そのような考えがが生まれるのは、おそらく、子どもは自分よりも下の存在で、「子どももひとりの人間として尊重されるべき存在だ」ということを無意識に否定しているからだと思います。
意見を言うと逆上する
私は母から、誠意をもって謝られたことがありません。
むしろ「なんで親が子どもに謝らないといけないわけ?」と怒られたり、たとえ母が間違っていても「アンタが◯◯だからでしょ!」と、私のせいにされることもよくありました。
私や弟の主張をまともに取り合ってくれないので、「どうして私たちの話を聞いてくれないの?」と聞いてみたことがあります。
すると母は「アンタたちが間違ってるから!」「アンタたちの意見なんて聞くだけ時間の無駄!」と逆上するのが常で、一度も冷静に話し合いをすることはできませんでした。
母に対する諦め
母は、子どもが何か意見を言えば逆上し、言い負かさなければ気が済まない人でした。
私たちはただ、普通の会話がしたかっただけなのですが、結局伝わることはありませんでした。
そんな日々にいつしか疲れ果て、私は「とりあえずこちらが我慢すればいいや」と、弟も「話が通じない人」と、諦めるようになっていきました。
何年も経ってから、「あの頃、話を聞いてもらいたかったけどそれができなくて辛かった」と言ってみたことがありますが、母は全く覚えていなかったうえ、説明しても、やはり理解しようはしてくれませんでした。
昔のように感情的になって怒鳴ることはなかったものの、「なんで辛いわけ?アンタのせいでしょ」と言われたとき、「ああこの人は死ぬまでこうなんだな」と思いました。
残念ながら、大半の毒親がそうだと思います。
毒親は一生、毒親のままです。
子どもに寄り添える親であってほしかった
私は母に謝ってほしかった。
それは口先だけの言葉がほしいのではなく、自分の子どもがどのような気持ちだったのか、自分のどのような行いが子どもを傷つけていたのか、理解してほしかったのだろうと思います。
ネットや書籍などで、母親に謝ってもらうことで関係を修復できたという話も時々見かけます。
すべての毒親がそうなってくれたら、子どもの気持ちがどれだけ救われることか。
しかし、そうやって子どもの気持ちに寄り添ってくれるようになるのは、世の毒親のごく一部なのではないかな、と個人的に思っています。