毒親の中でも、特に母親は、子どもに対して過保護であり、干渉しようとする傾向にあります。
過度な干渉を受けている子どもは、本来なら安心感が得られるはずの「家庭」の中で息をつまらせ、「自分は監視されている」と感じることも少なくありません。
なんでも監視しないと気が済まない母親
過干渉な母親は、子どもが自分の目が届かない状態になることを極端に嫌います。
子どもが学校に行っている隙に日記や手帳などを探し出して勝手に読んだり、友達と遊びに行くのを許さなかったり、自室や浴室のドアを閉めることを許さない親までいます。
そのような親は、子どもが反発すると大抵「あなたが心配だから」「あなたのため」と口をそろえて言いますが、それは裏を返せば「あなたを信じていないから」「自己満足のため」ということに他ならないのです。
また、「私をそうさせるのは心配をかけるあなたのせい」と、無意識に子どもに責任をなすりつけてもいます。
そのため、何か気に入らないことがあると「これだけのことをしてやったのに」「私の苦労をなんだと思ってるの」と、勝手に子どもに恩を着せ、感謝や見返りを要求します。
監視を受け入れてしまう理由
そのような環境で育った子どもは母親の支配のもとで、幼少期から「母親の理想の子ども」「手の掛からないいい子」であることを強要されています。
自分が母親に従っていれば母親の機嫌をとることができ、愛情を得られるため、不満に感じても「自分が我慢すればいい」と考えてしまいがちです。
そのため、窮屈で解放されたいと思いながらも、大人になってからも母親の支配から抜け出せません。
どんなに嫌な思いをしても、父親も母親も、それぞれ自分にとっては世界でたったひとりの親だということ、そして、「親には感謝しなくてはいけない」「親を嫌うなんてもってのほか」という日本社会の強迫観念が、ますます子どもを苦しめます。
母親の支配下にあるかぎり、子どもは精神的にも、社会的にも自立することができません。
その結果、親元を離れることがさらに困難になり、最終的に共依存に陥ってしまうのです。
自分の親が過干渉だと感じたら
親子が共依存に陥っている場合、窮屈さや不自由さを感じながらも、どちらもそれに気づいていないことがあります。
もし、「自分の親は子どもに干渉しすぎではないか」「親元を離れたい」という気持ちがあるなら、それは共依存から脱出する大きなチャンスです。
勇気を出して、ひとり暮らしを始め、親と物理的に距離をとってみてください。
子どもがいつまでも、親にとっての「いい子」である必要はまったくないのです。
むしろ、自分の本当の気持ちを抑えてまで「いい子」を演じることは、無意味でしかないと断言できます。
大半の親は子どもよりも先に死んでしまうし、そうしたらどのみち、子どもは自分の人生を生きなくてはなりません。
これまで親がしてくれていた「人生の選択」を、遅かれ早かれ自分でしなくてはならなくなるのです。
だったら今、「親からの自立」を選択してみてもいいのではないでしょうか。
親は、自分の目の届くところに子どもをおき、支配したいので反対するでしょう。
喧嘩にもなるかもしれません。
ひとりで生活できるのか不安な気持ちもあると思います。
それなら、親元を離れてから「やっぱり戻りたいのか」改めて考えればいいいのです。
一旦離れてみると、驚くほどの解放感と心地よさから、きっと戻りたくなくなるはずです。
せっかく一度きりの人生を生きているのだから、毒親のもとで苦しんでいる人たちには、「自分で人生を選択できる」「自分の好きなことができる」という楽しさを、一回くらい味わってもらいたいなと思っています。