「ブラジャーやナプキンを買ってくれない」というのは、毒親あるあるだと言われています。
自分の体の変化について誰もが戸惑いや恥じらいを感じるであろう時期に、いちばん身近な存在であるはずの母親に何も相談できず、まして罵倒されたりけなされたりすることは、本当に寂しくて、悲しいことだと思います。
下着のはなし
小学生の時、周りの子たちがスポーツブラをつけたりしていましたが、私は買ってもらったことがありません。
高学年になってようやく、買い物のついでにブラジャーを買ってもらえることになったのですが、明らかに母はイライラしていて、時々うんざりしたように溜め息をつくので、とても暗い気持ちになりました。
サイズを測るということも知らなかったので、売り場に着いても何を選んだら良いか分からず、「早く決めなさいよ」と怒られ、かといって母がアドバイスしてくれるわけでもありませんでした。
そのとき買ってもらったブラはもちろんサイズが合わず、きつくて痛くて、今でも思い出したくないほどです。
こんなに嫌な思いをしながら大人になっていかないといけないのか…と考えると、目の前が真っ暗になるようでした。
成長したくなくても逆らえないことに、絶望しかありませんでした。
生理用品のはなし
私の場合、下着は買ってもらえませんでしたが、ナプキンは常備されていただけ、いくらかマシだったのかな、とも思います。
もしかしたら母が自分の使いたいときに困るのが嫌だっただけかもしれませんが。
普通、生理用品の使い方というのは、誰に教えてもらうものなのでしょうか。
初めて生理がきたとき、母に言うと「これ付ければいいから」とナプキンを渡されて、あとは知らん顔だったのですが、母親が教えてくれるものなのでしょうか。
友達にもなんだか聞きづらくて、どうやったら下着を汚さずに済むか、結局ひとりであれこれ試行錯誤していた記憶があります。
中学生のとき、修学旅行先で生理になってしまったことがありました。
旅行先では、環境の変化で生理になりやすいということも当時は知らなかったので、周期的に安心していた私は生理用品を持っていません。
その後、同室の友達が快く分けてくれたのですが、そこで初めて羽根つきや夜用ナプキンの存在を知り、快適さと安心感に感動したのを今でも覚えています。
どちらも家にはなかったからです。
家を出てやっと買えたもの
大学生になって一人暮らしを始めるまで、ずっとボロボロの下着を着ていました。
生理がきても生理用ショーツを買ってもらえなかったので、自分で初めて買ったときには、その快適さに驚いた覚えがあります。
バイトを始めたことで自分で好きなものを選べるのがとても楽しくて、買う予定がなくても毎週のように、お店に見に行ったりもしました。
初めて市販の鎮痛薬を飲んだのも、大学生の頃でした。
母は生理痛や頭痛がするときに、市販の痛み止めを飲むことをとても嫌っていて、一度飲むと体が薬に慣れて良くないと考えていたからです。
いつもそのように言われてきたため、生理のときも、横になってじっと痛みに耐えるしかありませんでした。
また、「カイロでお腹を温めると気持ち悪くなるからやめなさい」と言い聞かされていたので、生理のときにお腹や腰を温めると楽になると知ったのは社会人になってからでした。
今では、なんてばからしいことをしていたんだろうと思います。
毒親の心理
娘に下着や生理用品を買おうとしない母親は、娘を「女」として見ており、同じ女として常に張り合っています。
そのため、娘が「女性」になっていくことや、娘に自分が越えられることが許せないのです。
これは子どもの自己肯定感が育まれることを妨害し、子どもがおしゃれが苦手になってしまう原因にもなります。
このような母親は何事も、娘より自分が上でなければ気が済みません。
娘の服装や身体などをけなし、自分が上であることを強調することも珍しくありません。
また、子どもの「個人としての価値」を認めず支配しようとする潜在意識があるため、成長し変化していく子どもに対し「子どものくせに」「育ててやってるのに」「誰のおかげだと思ってる」などと言うこともあります。
私もずっと言われてきました。
つくづく自分は、そんな母のようにはなりたくないと思うばかりです。